大判例

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東京高等裁判所 昭和27年(う)2813号 判決

原判決は、その第三の(一)として、被告人が「植松某の言を軽信して現物の存否も現認せず従つて引渡の確実な成算がないのに拘らずあるように装い……巴利治に対し右植松とこもごもに「富士産業から払下げる有機ガラスがあるから一噸三十五万円で譲る。品物は明後日か遅くとも一週間以内に巴化学工場まで輸送する」旨虚偽の事実を申向けて同人を欺罔し……」たものと判示している。この判示からいうと、被告人が「虚偽の事実を申向け」たというのは、要するに現物引渡の確実な成算がないのにあるようなことを言つたのが虚偽だということになるわけである。ところで、それではなぜ被告人に現物引渡の成算がなかつたのかというと、右の判示によると、「植松某の言を軽信して現物の存否も現認せず従つて」ということになつている。なるほど通常の事例においては現物の存否を現認しなかつた場合にはそれは引渡の成算のなかつたことの論拠になりうるであろう。しかし、現物の存否を自ら現認しなくとも、他のなんらかの理由によつて現物が存在すると信じていたとすれば、少くとも主観的に「引渡の成算」のあることも考えられるのである。しかるに右の判示には「植松某の言を軽信して……現認せず」とあるのであつて、これは植松某の言を信じて現物が存在すると思つたという意味にほかならないのであるから、結局右の判示は、被告人が(かく信ずることに不注意な点はあつたが)ともかくも現物を存在するものと信じ、その結果(従つて)引渡の確実な成算がなかつたということをいい現わしていることに帰着する。しかし、これは、前述したところから明らかなように前後矛盾した文言であつて、その存在を信じたということは、引渡の成算のあつたことの理由になりこそすれ、なかつたことの理由にはなりえないのである。しからば原判決にはこの部分にその理由のくいちがいがあるといわなければならない。論旨は理由がある。

(後略)

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